Edit your comment NAME TITLE WEBSITE COMMENT 力を使わず、思いと重さで、相手とつながり一体化し、相手と共にくつろぎ、重さの変化、重心移動で、より安定な楽なボジションになってもらう。 そのためには安心、楽な心持ちと笑顔、温顔になる。そうすると、自分の身体が、とろけられる。師範たちに受けてもらうととろけさせてくれる。ただし、姿勢を崩すのではない。姿勢は積み上がったまま、楽な状態、楽に動く。 だが、他の稽古仲間となるとそうは行かない、相手とぶつかり、突き当たり、一生懸命になればなるほど、相手を投げよう、転がそうと意図してしまい、その途端に自分の体は、固まり居つく。 ややもすると、そんな勘違いにすぐ陥ってしまっていた。 あくまでも、稽古は、自分がいかにリラックスし、笑顔と温顔でいられるか、姿勢も楽に、動きも継ぎ目なく楽に動ける心持ちを維持し、自分をとろけさせられるかだ。受けの時もいかにとろけられるかだと、思い直した。 突き当たり、相手とぶつかった時こそ、柔和な顔で滑らかに動けるように、相手に対して直接は何も操作しない事をする稽古だ。 接触面をいじらず、相手との関係性を穏やかに変えて相手に居心地良く動いてもらう。いやいや、勝手に関係性が変わるように自分がゆるりと動ける自分になる。 そのためには、間合いも、ある程度の緊張も必要。緊張がないとリラックスした感覚を伝えられない。 ただ、その落差をどれだけ柔和に微細に微小に微笑に出来るか。 なるほど、『笑うことが稽古だ』ということに思い至った。 PASSWORD SECRET SENDDELETE