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『柔術のひみつ』第二回「抜き」

柔術のひみつの第二回目は「抜き」です。
「膝を抜く」とか「肘の抜き」と言った風にブログでも非常によく使われる言葉です。

柔術のひみつまず「抜き」という言葉ですが実は前回の「居つき」とほぼ対語になっています。

居ついているというのは抜けてないということであり、居ついていないというのは抜けているということ。

ですのでブログの中で「膝を抜く」という言葉がでてきたときは「膝が居つかないようにする」という風に考えても同じ意味になります。

「抜き」という言葉をとらえる上で一番重要なのは「抜き」は動作ではなく状態であるということ。

特に「膝を抜く」という事を多くの人が膝の力を抜いてカクッと曲げるような落下のことを「抜く」ことだと思っています。
広義では、それも間違いではないのですが、その方法は「抜き」を体感するための一つの方法に過ぎません。

もし膝の抜きが単なる落下だとしたら背が高い人ほど膝が多く落下するので得をしてしまうし、この考えだと正座した状態では膝を抜くことができない。
なにしろ正座では最初から膝が曲がった状態で地面についているのだから。

それに抜きを落下だとしてしまう大きな問題点が、抜きがA地点からB地点へ落下という一瞬だけの技術になってしまい、ゆっくり動くことはできないのです。
本当の「抜き」はA地点やB地点のようにスタートやゴールがあるものではなくいつまでも継続し続けることができる「状態」なのです。

では、その状態とは何か?
それが、前回の「居つき」で説明しました「居ついていない」と同じで「今、その瞬間からどの方向にでも自由に動ける状態」なんです。

ですので立った姿勢で膝を抜くというのは、その姿勢から歩いたり座ったりが予備動作もなく楽に動ける状態。
正座している時ならば、いつでもどの方向にでも自由に身体の向きを変えたり、立ったりすることができる状態。

正座から立つときに「どっこらしょ!」なんて地面を踏ん張りながらやっている状態は「抜き」とは一番ほど遠い状態です。

抜き膝や肘が部位としては代表的ですが、「抜き」は身体のどの部位にでも作ることができます。
これは「居つき」が身体のどこにでも起こるということと同じです。
居つくところがあれば抜くことができる。

だから身体ばかりじゃなく心だって抜くことが必要。
心が緊張してしまうと「気が張った」状態になってします。
だから心だって抜けるときは抜いた方が言い。
そういう心のリラックスを「気を抜く」と言い、緊張や不安でで息が詰まっている時に息を吐き出してリラックするのを「息抜き」と言う。

「手へん」に「友」と書いて「抜」
だから友達と手を触れ合うとリラックスできるんです

初対面の人が握手をするように手というのはコミュニケーションをするときにとても重要な役割を持っています。
だから手を通じての相手との触れあい、関わりを避けていては人とのコミュニケーションは取れません。

そういうのを「手抜き」って言うんです。

| 柔術のひみつ | 11:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『柔術のひみつ』第一回「居つく」

柔術のひみつ先日、「居つく」ってどういう意味ですかという質問を受けたので、これを機に稽古日誌とは別に柔術のあれこれを書いてみようかと思ってます。

タイトルの「柔術のひみつ」は子供の頃大好きだった学研の「ひみつシリーズ」からとりました。
このひみつシリーズは子供の頃、ほんっと大好きで何度も読み返してました。
「発明・発見のひみつ」「忍術・手品のひみつ」「できるできないのひみつ」etc.
なつかしいな~(* ̄▽ ̄*)

というわけで記念すべき第一回目は「居つく」がテーマ。

「居つく」という言葉は武道の世界ではよく使われますが、一般的には足がその場に止まってしまって動けない状態をさします。

では、なぜ動けないのか

一言で言えば「緊張」なんです。

例えば足に緊張がある場合、その緊張というのは身体に対してブレーキをかけている状態
だから、歩き出そうとする時にまずはその緊張(ブレーキ)をはずさなくてはアクセルを踏むことが出来ない。

もし身体が緊張せずにニュートラルの状態ならばアクセルを踏めばすぐに動き出すことが出来る。
だから単純に考えて身体に緊張(ブレーキ)があるとアクセルを踏む前にブレーキをはずすという作業が必要になるので反応がワンテンポ遅れるのです。

だから「居ついている」というのはそういった身体によけいな緊張があってすぐに動けなくなっている状態を示します。

そして柔術では居ついているという言葉を足だけではなく身体の全ての部分に対して用います。

肘が居つく、膝が居つく、首が居つく、視線が居つく。
そして心の動きもまた、固定概念や常識にとらわれた状態を心のブレーキとみなし心が居つくという表現をする。

反対に「居ついていない」という表現をした時は、身体に余計な緊張(ブレーキ)が無い状態のこと。

今、その瞬間からどの方向にでも自由に動ける状態。

それが「居ついていない状態」です。

柔術で目指す身体というのは「居つかない身体」であり、「居つかない身体」が出来れば柔術は完成と言っても過言ではない。

肘や肘の使い方、重心の使い方や皮膚への接触の仕方、意識の用い方など色々な稽古をやりますが、結局のところ「居つかない身体づくり」を様々な角度から学んでいるだけ。

だから逆にどんな技を稽古している時でもなにかしら上手くいかない状態になった時は必ずどこかが居ついているのです。
居つきひろし
それを稽古の中では「ほら、いま肘が居ついたよ」とか「相手の手ばかり見て視線が居ついてるよ」とか「技をかけようかけようという気持ちが強くて心が居ついてしまってるよ」と言う風に使います。
まあ、心の居つきの場合は、意識が固まるという意味で「意つく」なんて表現することも出来ますけどね( ̄ー+ ̄)

以上、簡単ですが「居つく」という言葉を説明してみました。

身体の感覚を言葉にするのは中々難しいですが、体験入門に来れなくてブログだけを読んでいる方にもわかりやすく伝えることが出来ればと思って書きました。

今後も「柔術のひみつ」はシリーズ化していく予定なので柔術に関する質問や疑問点などがあればどんな内容でもいいのでお待ちしております。
個人的すぎる内容の質問には答えられないかもしれませんが、多くの人に通じる一般的な質問はこのブログでなるべくお答えしていきたいと思っていますのでよろしくです(^○^)。

質問など私に聞きたいことはコチラへ↓
hakkouryu@gmail.com

| 柔術のひみつ | 22:33 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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