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「手応えがない」という感覚

八光流柔術を学んでいく上でかならず必要となってくる「手応えがない」という感覚。
ゼロ・ストレッチでもこの「手応えがない」感覚をベースに伸ばさないストレッチを行うが、果たして「手応えがない」というのはどういうことなんだろうか。

今回は「手応えが無い」という感覚について説明したいと思います。

まず最初に、「手応え」とは何かというところから始めましょう。
「手応え」を辞書で調べると以下のように書いてあります。

[1] 打ったり触れたりした時に、手に受ける感触。また、確かに当たったという感じ。
[2] 働きかけに対する反応。

要は何かしらの行動に対して得られる感触というものが手応えと考えれば良いのかと思います。


八光流柔術ではどのような動きにおいて力と力をぶつけないように身体を使います。
当然相手を転がす時でも、相手との接触面に対してぶつからずに動かなければなりません。

八光流柔術における「手応え」の意味は、本来相手に行くべきはずの力が跳ね返ってきた余分なモノと考えます。
例えば10の力で相手を押した時に、接触面にぶつかって戻ってきた2や3の力が手応えとして感じるのです。

つまり「力のロス」=「手応え」です。

もし10の力で相手を押したときに10の力全てが相手にぶつからずに入っていったならば、反発して戻ってくる力のロスはゼロ、つまり手応えが無い、状態となります。

八光流柔術の技は、最小の力で最大の効果を出すための身体の使い方を学びます。
その為には相手と力をぶつけるという力のロスはなくしたい。
ですから相手を転がしたときに手応えが無ければ無いほど技の完成度が高いという評価になります。

そして「手応えがない」というのは身体への負担が少ないという考え方もあります。
例えば、手を上げてバイバイという動きをした時に、その動きに対して何か「手応え」はあるでしょうか。
殆どの人が特に何の問題も無く、また努力感もなく出来る動きです。

もし、肩や肘を痛めていたら、この動きは辛いかもしれません。
また腕に重い荷物を持って同じ事をしたら、少しがんばらないとこの動きは出来ないかもしれません。

同様に、我々は日常で心臓や肺など内臓の動きに「手応え」を感じているでしょうか?
殆どの人は何の手応えを感じなくても内臓は動いています。
もし身体に異常などがある場合は、心臓、肺や胃などに痛みが出たりするかもしれません。

つまり、身体の動きを制限するような痛みや重さなどの負荷が無い状態、意識をしないでも動ける状態というのは身体にとって自然であり一番楽だということになります。

例えば、格闘技や野球でこんな話を聞いたことがありませんか?
・殴った手応えが無いのに相手が倒れた
・バットで打ち返した感触がないボールがホームランになった

私自身が経験したことではないのであくまでも想像にはなりますが、これらの現象はまさに動きのエネルギーがいっさいロスをせずに対象物に移動したということなのではないでしょうか。
だからこそ、対象物との衝突も起きないし手応え(感触)がない、という感覚になる。


八光流柔術において「手応えのない」感覚が必要であることはわかっていただけたと思いますが、この「手応えのない」感覚には実は大きな問題があります。

ずばり「手応えがない」という感覚はフィードバックがしづらいという点です。

何かを学ぶ上で手助けになるのが身体に残る感触。
ところが「手応えがない」というのは「感触がない」のです。

感触がないというのことは今出来たという動きをもう一度繰り返す「手がかりがない」ということになります。

皆さんも、武道でもスポーツでも何気なく動いた時にびっくりするような高度なパフォーマンスが出来たなんてことはないでしょうか?
しかし、その動きをもう一度やろうとしても出来ない。
何しろその時の動きには手応え(感触)が何も残っていないから・・・

これが「型」だったり、動きに法則性があるのなら、目で見てその動きをトレースしたり、動きの順番を記憶したりと、できるのですが「手応えのない」感覚は触覚でしか身につけることが出来ない、しかもその触覚でも知覚できない感覚なのだから、学ぶという上では非常に困難を極めてしまう。

しかし、かといって八光流柔術の稽古は難しいというわけではありません。
何しろ年齢・経験に関わらず誰でも身につけられるというのが八光流柔術の技の特徴です。
一見難しい「手応えのない」という感覚も、ちゃんと稽古をしていく上で誰でも例外なく自然に身につけられるような稽古の方法というはちゃんと整っています。

ですから稽古では無理に「手応えが無い」感覚を求めるのではなく、相手との接触面のぶつかりや自分の動きに不自然さや努力感がともなっていないかをチェックする。
その上で、身体がもっと楽に動くにはどうすればいいか、相手と力をぶつからないためにはどちらに動けばいいのか、を考えていく。

八光流柔術はもともと知識や経験、技術を足し算していくものではなく余計なものをひとつずつ取り除いていく「引き算」の稽古です。

「手応えの無い」感覚を無理に得ようとする必要はありません。
自分の無駄な緊張、無駄な動きを取り除いていけば、最終的に残った動きこそが「手応えの無い」動きになっているのです。

そして、その動きが出来たとき「手応えの無い」という感覚を「手応え」として感じることが出来るようになるでしょう。
(゜_。)ん?

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