共感覚という神秘的な世界-言葉に色を見る人、音楽に虹を見る人
文字や数字、音、曜日や月の名前に「色が見える」といった共感覚というのはとても興味深い。
昔は共感覚者は非常に珍しく10万人に1人と言われていたが、最近では23人に1人とも言われている。
つまりそれほど珍しい感覚ではなくなったということ。
実際、誰もが言葉にしなくてもなんらかの共感覚を持っていると言っても過言ではないと思います。
ここからはちょっと個人的な話し。
私はもともと触覚が優位なのですが柔術という武道を長年やっているせいか触覚は普通の人よりは鋭くなっている。
だから私は身体の表面だけでなく身体の内側も触覚として感じとれる部分が多い。
それと他人の身体に触れると相手の身体の触れてない所も触覚的に感じ取れる。
言うなれば触覚という感覚が拡大しているような感じです。
例えば料理人などは素人では感じないような味の違いを感じる事が出来るように五感というのは訓練次第で感度は大きく変わる。
こういうのも共感覚の一種といっても良いのでしょうけど、通常より感度が鈍い人の事を狭感覚(きょうかんかく)、感度が拡大している人を広感覚(こうかんかく)と表現したらどうかなと思っています。
気を手で感じるとかオーラを目で見るいった感覚はこの広感覚なのでは…と。
この辺りを研究している人っていないのかなあ。
昔は共感覚者は非常に珍しく10万人に1人と言われていたが、最近では23人に1人とも言われている。
つまりそれほど珍しい感覚ではなくなったということ。
実際、誰もが言葉にしなくてもなんらかの共感覚を持っていると言っても過言ではないと思います。
ここからはちょっと個人的な話し。
私はもともと触覚が優位なのですが柔術という武道を長年やっているせいか触覚は普通の人よりは鋭くなっている。
だから私は身体の表面だけでなく身体の内側も触覚として感じとれる部分が多い。
それと他人の身体に触れると相手の身体の触れてない所も触覚的に感じ取れる。
言うなれば触覚という感覚が拡大しているような感じです。
例えば料理人などは素人では感じないような味の違いを感じる事が出来るように五感というのは訓練次第で感度は大きく変わる。
こういうのも共感覚の一種といっても良いのでしょうけど、通常より感度が鈍い人の事を狭感覚(きょうかんかく)、感度が拡大している人を広感覚(こうかんかく)と表現したらどうかなと思っています。
気を手で感じるとかオーラを目で見るいった感覚はこの広感覚なのでは…と。
この辺りを研究している人っていないのかなあ。