2011/2/27稽古日誌「肘」
本日の八光流柔術の午前中の稽古の参加者は今日が稽古初日の人を含めて3人。
3人ともまだ入門したばかりのほやほや組です。
というわけでほやほや組をゆるゆる組にする為に本日の稽古は基本的な部分をじっくりゆっくりのんびりまったりとやりました。
テーマは「肘」
肘が固まらないように力を抜いて肘を自由に動かせるようにする稽古。
具体的には座った状態で目の前の人に腕を出してもらいそれを水平に斬っていく感じ。
肘が固くて伸びた状態だと相手はびくともしないが肘がゆるむと相手は簡単に崩れていく。
何度かやって慣れてきたら今度は片手を両腕でつかんでもらいそれを左右どちらかに振って相手を崩す。
動きの感覚は先ほどと同じでいかに肘を緩めるかがポイント。
肘から先は相手に任せてしまい、自分の腕の長さは肘までというイメージで肘を動かすとわかりやすい。
手先にどうしても力が入る人にはこの「肘から先は無い」という感覚は有効です。
ただし、もう少し稽古が進んでいくと「肘から先は無い」という感覚では上手くいかなくなる。
なぜならこれだと相手との関係が切れてしまうから。
相手と「つながる」為には自分の身体の感覚を相手から切り離してはいけないのです。
では、どうするかというと「肘から先は相手と自分をつなぐパイプの役割をしている」というイメージに切り替える。
たいして違いが無いように感じるかもしれませんが、この差は大きいのです。
柔術において脱力は大事ではあるけどそこに意識がちゃんと入ってないと意味が無い。
とにかく力が抜ければいいという風になってしまうと相手との関係性を切るという状態での脱力になってしまい、そうなったときの手は単なる「死んだ手」になってしまう。
死んだ手で技をかけようとしても相手とはつながることが出来ない。
「肘から先が無い」も「肘から先がパイプ」にしてもあくまでもイメージのひとつなのでこれに固執する必要はないし、むしろしないほうがいい。
大事なのは相手と「つながる」という感覚。
そしてそのつながりを邪魔しているのが「無駄な緊張」であるということ。
自分の身体をちゃんと感じること。
肘から先に余計な仕事をさせないように「モノ」化していくのもひとつの方法だが、その時も必ず大事なのは自分と切り離したモノではなく「自分のモノ」として動かすことが大事です。
自分の手を自分から切り離してしまっては技は絶対出来ない。
そういう状態のことをまさに手が無いと言うんです。
3人ともまだ入門したばかりのほやほや組です。
というわけでほやほや組をゆるゆる組にする為に本日の稽古は基本的な部分をじっくりゆっくりのんびりまったりとやりました。
テーマは「肘」

肘が固まらないように力を抜いて肘を自由に動かせるようにする稽古。
具体的には座った状態で目の前の人に腕を出してもらいそれを水平に斬っていく感じ。
肘が固くて伸びた状態だと相手はびくともしないが肘がゆるむと相手は簡単に崩れていく。
何度かやって慣れてきたら今度は片手を両腕でつかんでもらいそれを左右どちらかに振って相手を崩す。
動きの感覚は先ほどと同じでいかに肘を緩めるかがポイント。
肘から先は相手に任せてしまい、自分の腕の長さは肘までというイメージで肘を動かすとわかりやすい。
手先にどうしても力が入る人にはこの「肘から先は無い」という感覚は有効です。
ただし、もう少し稽古が進んでいくと「肘から先は無い」という感覚では上手くいかなくなる。
なぜならこれだと相手との関係が切れてしまうから。
相手と「つながる」為には自分の身体の感覚を相手から切り離してはいけないのです。
では、どうするかというと「肘から先は相手と自分をつなぐパイプの役割をしている」というイメージに切り替える。
たいして違いが無いように感じるかもしれませんが、この差は大きいのです。
柔術において脱力は大事ではあるけどそこに意識がちゃんと入ってないと意味が無い。
とにかく力が抜ければいいという風になってしまうと相手との関係性を切るという状態での脱力になってしまい、そうなったときの手は単なる「死んだ手」になってしまう。
死んだ手で技をかけようとしても相手とはつながることが出来ない。
「肘から先が無い」も「肘から先がパイプ」にしてもあくまでもイメージのひとつなのでこれに固執する必要はないし、むしろしないほうがいい。
大事なのは相手と「つながる」という感覚。
そしてそのつながりを邪魔しているのが「無駄な緊張」であるということ。
自分の身体をちゃんと感じること。
肘から先に余計な仕事をさせないように「モノ」化していくのもひとつの方法だが、その時も必ず大事なのは自分と切り離したモノではなく「自分のモノ」として動かすことが大事です。
自分の手を自分から切り離してしまっては技は絶対出来ない。
そういう状態のことをまさに手が無いと言うんです。