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2011/10/2柔術稽古日誌「道は一つじゃない」

日曜日の稽古には同市内の八光流柔術皆伝師範であるM師範が来てくれたので、ほぼお任せ状態で門人に稽古をつけてもらった。
M師範とはつきあいも長いし、考え方も近いので技の方向性は似ているのだが、それでも、普段私が教えていることと同じ技でも、その表現の仕方や視点が変わってくる。

柔術の稽古というのは、技に対してたった一つの正解があるのではなく、そこにたどり着くには無数の答えがあるということに気づくためのもの。
その為には、身体だけでなく頭も柔らかくなくてはならない。


教えてもらう人によって言うことが違うので混乱する、というのは武道の道場に通っている人の意見としてはよく聞く。

しかしそれぞれが違う事を言ってる、ということの方が大事なのです。

同じ技をどのような視点から、どのように観察し、どのように身体を使うのか。
そしてそれらの感覚をどのような言葉にして伝えていくか。
これが全て同じになってしまったら技は単なるマニュアルがあればすんでしまう。

柔術はコミュニケーションであるといつも言っているように、人というのはひとりひとり違うのだから、当然対応の仕方というのは決まったものではなくひとりひとり変化していくもの。
全ての人に同じ方法で対応できないというのがコミュニケーション、そして技の難しさでもあり面白さでもある。

だから柔術の稽古で人によって違う事を言われたら、その違いの中から何を得るのかというのが大切。

その表現、感覚、説明、それはなぜ違うのか、この人はなぜそのような説明になるのか、というところを考えてみる。

言うならば人間観察です。
その人をよーく観察して、その人の考え方、表現を理解していくとその人が何を言いたいのか、何に対してその言葉を発しているのかというのがわかってくる。
だから稽古と言うのは技を学ぶという形をとりながら人とのつながりを深めていくことでもあるんだよね。

ただし、気をつけなければならないのはそこに至る道が無数にあるといっても、何をやってもいいというわけではない。
相手への思いやりがなくなってしまっては、単なる目的の為には手段を選ばない、ということになってしまう。
無数の道
八光流柔術の理念に

「挑まず、逆らわず、傷つけず」

というのがある。


これはまさに柔術における道であり、この理念から外れてどんな手段でもいいから技をかけてやれ、では道を外れてしまう。

古参の師範が、「護身術というのは自分の身を護るんじゃない、相手の身を護るんです」とおっしゃっていた。

武道にそんな綺麗ごとは通用しないという意見もあるとは思いますが、私は武道を人を傷つける為にではなく人を笑わせて楽しんでもらって健康になってもらう為にやっています。

私が進みたい道の理念
それが、うちの道場の稽古訓なんです


   【稽古訓】
・転ぶことが稽古である
・力を抜くことが稽古である
・気づくことが稽古である
・手放すことが稽古である
・楽しむことが稽古である
・笑うことが稽古である
・健康になることが稽古である

この稽古訓の道から外れないように沢山の道をこれからも切り開いていきたいなと思ってます。

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