柔術稽古日誌「技のレシピ」
入門してしばらくするとよく聞かれるのが「八光流柔術の道場はどこにいっても同じ稽古しているんですか」という質問。
もちろん同じ流派の道場であれば型も当然共通だし同じような稽古をしているとも言える。
しかし実際のところ師範によってやっていることがかなり違うところもあると思います。
実際、私の師匠は八光流柔術の世界では異端とも言える技術を持っていた方なのでそれを引き継いでいる私自身も八光流柔術の世界から見れば異端とも言える。
それでも私の師匠は武道は八光流柔術しか経験がない方だし、その師匠から教えていただいたものを私は道場で教えているのだからその技は八光流柔術以外の何物でもないと私は自負しています。
そういった中でもどの師範の技にも共通しているのは脱力をベースにした技法であるということと「挑まず 逆らわず 傷つけず」の理念なんだと思います。
師匠や兄弟子を始め、八光流柔術には全国に優れた師範がいっぱいおり、その中で私は正直出来が悪い師範だと思います。
でも出来が悪かったからこそ、出来ない技をどうやったら出来るのかということをずっと考えながら稽古してきました。
そういう意味では、苦労した分、技を身につけるためのプロセスというものに関してはわかりやすく伝えられるようになったと思っています。
どんなにおいしい料理でも出来上がったものだけを食べただけでは作ることはできません。
それが出来るのは天才といわれる人だけです。
だから凡人には料理を作り上げる為にレシピというものが必要になる。
うちの稽古ではそんな技のレシピを伝えています。
もちろんレシピだけあれば料理が作れるわけではありませんが、それが完成までの手がかりになります。

例えるならうちの道場は出来上がったおいしい料理を出すレストランではなく、料理を作るところから始める料理教室なんです。
ふと思い出したのですが大好きな作家である伊坂幸太郎の作品の中に「神様のレシピ」という言葉が良くでてきます。
「未来は神様のレシピで決まる」なんていう風に使われるんだけど、未来を運命の一言で片付けるのではなくレシピというところになんとなく調理次第で結果は変わるんだという希望を感じる言葉です。
未来なんて大きなことは言えないけどうちの稽古でも沢山の技のレシピを門人に伝えて、それぞれが個性のある料理を作っていって欲しいと思います。
もちろん同じ流派の道場であれば型も当然共通だし同じような稽古をしているとも言える。
しかし実際のところ師範によってやっていることがかなり違うところもあると思います。
実際、私の師匠は八光流柔術の世界では異端とも言える技術を持っていた方なのでそれを引き継いでいる私自身も八光流柔術の世界から見れば異端とも言える。
それでも私の師匠は武道は八光流柔術しか経験がない方だし、その師匠から教えていただいたものを私は道場で教えているのだからその技は八光流柔術以外の何物でもないと私は自負しています。
そういった中でもどの師範の技にも共通しているのは脱力をベースにした技法であるということと「挑まず 逆らわず 傷つけず」の理念なんだと思います。
師匠や兄弟子を始め、八光流柔術には全国に優れた師範がいっぱいおり、その中で私は正直出来が悪い師範だと思います。
でも出来が悪かったからこそ、出来ない技をどうやったら出来るのかということをずっと考えながら稽古してきました。
そういう意味では、苦労した分、技を身につけるためのプロセスというものに関してはわかりやすく伝えられるようになったと思っています。
どんなにおいしい料理でも出来上がったものだけを食べただけでは作ることはできません。
それが出来るのは天才といわれる人だけです。
だから凡人には料理を作り上げる為にレシピというものが必要になる。
うちの稽古ではそんな技のレシピを伝えています。
もちろんレシピだけあれば料理が作れるわけではありませんが、それが完成までの手がかりになります。

例えるならうちの道場は出来上がったおいしい料理を出すレストランではなく、料理を作るところから始める料理教室なんです。
ふと思い出したのですが大好きな作家である伊坂幸太郎の作品の中に「神様のレシピ」という言葉が良くでてきます。
「未来は神様のレシピで決まる」なんていう風に使われるんだけど、未来を運命の一言で片付けるのではなくレシピというところになんとなく調理次第で結果は変わるんだという希望を感じる言葉です。
未来なんて大きなことは言えないけどうちの稽古でも沢山の技のレシピを門人に伝えて、それぞれが個性のある料理を作っていって欲しいと思います。