柔術稽古日誌「鍼灸と柔術」
大学の時の後輩から連絡があり八光流柔術の体験入門に友達と一緒に来たいとのこと。
もちろん大歓迎(^_^)。
今、後輩は鍼灸・マッサージの専門学校に通っていて一緒に来る友達は同級生とのこと。
二人とも脱力による身体の使い方に興味があるようだ。
木曜日の田町のクラスに参加したのだが、たまたまその日は他の稽古参加者はゼロ。
後輩とその友達の二人だけの為の体験入門となった。
というわけで体験してもらう内容は柔術の技にとどまらず施術における身体の使い方、患者さんとの接し方など今後の勉強にも役立つような考え方も含めて柔術を体験してもらった。
二人とも非常に熱心で、技の感覚やその説明を自分なりに解釈しながら疑問点を色々と質問してくる。
普段柔術を稽古している側からした当たり前のことも初めて柔術に接する人からみたら「なぜ?」という点も多いのだろう。
そんな「なぜ?」の視点からの質問は私も思わず「はっ」とさせられる内容もあり、非常に勉強になった。
大事なことは出来る限り伝えたつもりだが、たった一回の体験入門では伝えられる内容にも限界がある。
それでも身体を通じたとコミュニケーションというものがどういうものかを少しでも感じてもらえたならと思う。
個人的には鍼灸や整体、セラピストなど人の身体に触れる勉強をしている方、またすでにそれを職業にしている人には、柔術の身体を通したコミュニケーションという感覚を必ず役に立つと思っています。
治療においてテクニックももちろん大事だけど、その前にまずは相手との信頼関係というものを作らなければならない。
施術というのは相手に自分の身体を任せるということだし、それには「この人に身体を任せても安心」と思ってもらわなければならない。
だから相手とのコミュニケーションが一方通行であったり、ぶつかりあってしまっては成り立たない。
そもそもコミュニケーションという言葉は、日本語に訳すると「交流」。
相手と交わりながら流れるという言葉通り、一方通行ではなく相手と相互に交わりあいながらぶつかることなく流れるような関係こそが交流であり、それがコミュニケーションなんです。
八光流柔術はもちろん武道ですので、私の考え方が八光流柔術を代表した意見では無いことはご理解ください。
ただ私の八光流柔術の指導ではコミュニケーションというものを大事にしているということなんです。
人それぞれの取り組み方があるのだからコミュニケーションの為の八光流柔術、いや八交流柔術なんてのもあってもいいんじゃないかな、と思っています(^_^)
もちろん大歓迎(^_^)。
今、後輩は鍼灸・マッサージの専門学校に通っていて一緒に来る友達は同級生とのこと。
二人とも脱力による身体の使い方に興味があるようだ。
木曜日の田町のクラスに参加したのだが、たまたまその日は他の稽古参加者はゼロ。
後輩とその友達の二人だけの為の体験入門となった。
というわけで体験してもらう内容は柔術の技にとどまらず施術における身体の使い方、患者さんとの接し方など今後の勉強にも役立つような考え方も含めて柔術を体験してもらった。
二人とも非常に熱心で、技の感覚やその説明を自分なりに解釈しながら疑問点を色々と質問してくる。
普段柔術を稽古している側からした当たり前のことも初めて柔術に接する人からみたら「なぜ?」という点も多いのだろう。
そんな「なぜ?」の視点からの質問は私も思わず「はっ」とさせられる内容もあり、非常に勉強になった。
大事なことは出来る限り伝えたつもりだが、たった一回の体験入門では伝えられる内容にも限界がある。
それでも身体を通じたとコミュニケーションというものがどういうものかを少しでも感じてもらえたならと思う。
個人的には鍼灸や整体、セラピストなど人の身体に触れる勉強をしている方、またすでにそれを職業にしている人には、柔術の身体を通したコミュニケーションという感覚を必ず役に立つと思っています。
治療においてテクニックももちろん大事だけど、その前にまずは相手との信頼関係というものを作らなければならない。
施術というのは相手に自分の身体を任せるということだし、それには「この人に身体を任せても安心」と思ってもらわなければならない。
だから相手とのコミュニケーションが一方通行であったり、ぶつかりあってしまっては成り立たない。
そもそもコミュニケーションという言葉は、日本語に訳すると「交流」。

八光流柔術はもちろん武道ですので、私の考え方が八光流柔術を代表した意見では無いことはご理解ください。
ただ私の八光流柔術の指導ではコミュニケーションというものを大事にしているということなんです。
人それぞれの取り組み方があるのだからコミュニケーションの為の八光流柔術、いや八交流柔術なんてのもあってもいいんじゃないかな、と思っています(^_^)