柔術稽古日誌「脱力の落とし穴」
簡単なようで難しい、それが脱力です。
例えば稽古において「力が入り過ぎ、もっと脱力して」という言葉をかけると言われたほうがなんとか脱力しようとするのだが、なかなかうまくいかない。
一生懸命力を抜こうとすればするほど力が抜けず、下手するとよけいに力が入ってしまう。
こんな経験をしたことがある人は多いと思います。
なぜそのようなことが起きるかと言えば、脱力というものをどうしても「しよう」とする落とし穴にはまってしまっているのです。
脱力に関しては今までも何度も書いてきたことだがもう一度おさらいしてみましょう。

緊張というのは要は筋肉の収縮であり、これは意図的に「する」という行為になります。
しかし脱力というのは筋肉を収縮させないようにすること。
つまり意図的に「する」というよりは力を入れることを「しない」ことが脱力になります。
とはいえ、どんな技でも立ったり動いたりしている以上は最低限必要な筋力があります。
この必要の筋力まで脱力してしまっては動きのパフォーマンスは逆に著しく下がってしまいます。
そういう意味では緊張を「しない」という事ばかりにとらわれすぎても今度は脱力は出来るけど動くと緊張するので動けないという現象が起きてしまいます。
ですので脱力を学ぶ上では力を抜くという意識だけではなく、力を上手に出すという感覚も大事です。
例えば力の出しかたの目盛りの単位が10の人は15や12といった数値に対してちょうど良い力を出すことが出来ません。
これがもし目盛りが5の人ならば15や25という力ならちょうど出せるが、12や8という力を出すのはやはり難しい。
では目盛りが1ずつ力を出せる人ならば12や8はもちろ15や20といった力にもちょうど良い力を出すことが出来ます。
このように目盛りを細かく出来ればつまみを回してちょうど良い力を入れることも出来るし、力を入れ過ぎた状態からそのつまみを逆に回していけば脱力になります。
脱力は緊張という言葉の対義語として使われるのでどうしても脱力は良い、緊張は悪いというステレオタイプになりがちですが、実はどちらかが良くてどちらかが悪いのではなく両方のバランスが大事なんです。
だから脱力でも良い脱力もあれば悪い脱力もあるし、緊張でも良い緊張もあれば悪い緊張もある。
そういうバランスも考えながら柔術における脱力というものも学んでいきましょう。
例えば稽古において「力が入り過ぎ、もっと脱力して」という言葉をかけると言われたほうがなんとか脱力しようとするのだが、なかなかうまくいかない。
一生懸命力を抜こうとすればするほど力が抜けず、下手するとよけいに力が入ってしまう。
こんな経験をしたことがある人は多いと思います。
なぜそのようなことが起きるかと言えば、脱力というものをどうしても「しよう」とする落とし穴にはまってしまっているのです。
脱力に関しては今までも何度も書いてきたことだがもう一度おさらいしてみましょう。

緊張というのは要は筋肉の収縮であり、これは意図的に「する」という行為になります。
しかし脱力というのは筋肉を収縮させないようにすること。
つまり意図的に「する」というよりは力を入れることを「しない」ことが脱力になります。
とはいえ、どんな技でも立ったり動いたりしている以上は最低限必要な筋力があります。
この必要の筋力まで脱力してしまっては動きのパフォーマンスは逆に著しく下がってしまいます。
そういう意味では緊張を「しない」という事ばかりにとらわれすぎても今度は脱力は出来るけど動くと緊張するので動けないという現象が起きてしまいます。
ですので脱力を学ぶ上では力を抜くという意識だけではなく、力を上手に出すという感覚も大事です。
例えば力の出しかたの目盛りの単位が10の人は15や12といった数値に対してちょうど良い力を出すことが出来ません。
これがもし目盛りが5の人ならば15や25という力ならちょうど出せるが、12や8という力を出すのはやはり難しい。
では目盛りが1ずつ力を出せる人ならば12や8はもちろ15や20といった力にもちょうど良い力を出すことが出来ます。
このように目盛りを細かく出来ればつまみを回してちょうど良い力を入れることも出来るし、力を入れ過ぎた状態からそのつまみを逆に回していけば脱力になります。
脱力は緊張という言葉の対義語として使われるのでどうしても脱力は良い、緊張は悪いというステレオタイプになりがちですが、実はどちらかが良くてどちらかが悪いのではなく両方のバランスが大事なんです。
だから脱力でも良い脱力もあれば悪い脱力もあるし、緊張でも良い緊張もあれば悪い緊張もある。
そういうバランスも考えながら柔術における脱力というものも学んでいきましょう。