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柔術稽古日誌「転がればいい」

技の時にせっかく相手が崩れたのに途中で動きが止まってしまう時がある。
何度やってもどうしてもうまくいかない時は「じゃあ転がってみて」と言う。

面白いものでさっきまでピクリともしなかった相手が、自分が転がってしまうと簡単に崩れて一緒に転がってしまいます。

これはなぜか。

技をかける時に相手の動きが止まってしまうというのは単純に言って自分の身体が居ついた時。

自分の身体が居ついた状態で固まっているのだから相手はその身体にしがみつくことでバランスが取れてしまう。
逆に言えば身体全体の居つきが取れたならば相手はバランスを取ろうにもそもそもしがみつく所がなくなるのだからそのまま崩れてしまうしかない。

立ち技の場合は特に上半身よりも下半身が居ついてしまいがちで、その居つきが相手にとって支えとなってしまいます。
こういう状態では腕をいくらリラックスしても下半身という支えがある限り相手は転がってくれない。

そこで自分自身が転がってしまえば相手にとって支えが全てなくなるので一緒に転がってしまうのです。


ただし転がる時はあくまでも転がる為の要素を満たしていなければならない。

・かかと重心
・姿勢を崩さない
・居つかない

身体が前傾したりつま先重心になってしまうとただ相手を引っ張ったり、ぶら下がったりするような格好になってしまい相手は崩れない。
転がるが良い
また下半身に力が入ったまま行うと居ついたままで単なる力づくになってしまうので注意。

あくまでも「転がる」ということがちゃんと出来ていないと効果はありません。
逆に言えばしっかり転がることが出来ればそれだけで技になる。

転がるの「転」という言葉には「変わる、変化する」という意味もあります。

技がうまくいかないとどうしてもあーだこーだと動きや崩す方向等を工夫したりしがちですがそういう状況を変化させるには難しく考えずに

「技に行き詰ったら転がる」

これが一番単純かつ最善な方法です。

| 稽古日誌 | 11:48 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

確かに「転がればよい」

課題を与えられて、行き詰まった時には、頭で考えるのを止めて、先生の言うように転がれば良い。ただほし、その際の条件を満たして。そして、稽古は色々な場面でそれが出来ているかどうか。それを自分でチェック出来、自分で自分を変えて行けるかの稽古だ!

で、入門して一ヶ月の体験を通して思うことは、やはり、それが相手を感じて、相手をつながって、相手にその柔らかさ、重さを伝えられる自分でいられるかどうかだ!

もちろん姿勢、重心の位置、自分自身の自分に対する認識の仕方、その時々の自分の思考のあり方、余計な事を考えずに、すべきことを身体に任せて出来るようにするのが練習。
あるべき有り様を自分の失敗の体験を通して知るのが、稽古であり、学習であり、練習か?

行き詰まったら転がる!

確かに!

だが、それがどういうことか、実感出来るかどうか、それが武術、柔術だと思えるかどうかが分かれ道か?
が、決して武術、特殊な状況のことではない。普段の身体の柔軟な健康な身体の土台でもある。

・かかと重心
現実のレベルとしては、まだまだ、かかと重心になれず、直ぐに前重心で踏ん張っている状態。

・姿勢はまっすぐ
姿勢の大事さは、身に染みて実感しているが、ほんの少しでも動くとなると直ぐに左右に、前に股関節、腰、背中が曲がり、傾き、さらにひねったりしてしまう。

・力を抜きながら
これも、上手くやろうと考えただけでも特に肩が上がり、前に丸まってしまう。
当然腕、肘が固まり力で相手をなんとかしようとしてしまう。

しかしながら、そんな失敗を繰り返しながら、最近、少し背骨と胸骨に肩甲帯を乗せて、さらに上腕、前腕をぶら下がり、その腕、身体を通して相手とつながり、自分の足、かかとにつなげ、身体全体の重さを相手に乗せる感じ(寄りかかるのではなく、自分のかかとに相手の重さも乗せる)が、引き投げを上手く出来る時には、感じられるようになって来た。
ただ、力んで身体が硬直して相手を力で引っ掛けているのか、自然体で自分の重さを相手に作用させているのかの自分自身でのチェック並びに調整が、現在の課題!

自分としては自分の本来の健康な有り様に気づき、知り、学び、まねび、自分自身を磨いて行くその基本が転がることと捉え直している。

シンプルだが実に奥が深い事であるのは、入門1ヶ月でも実感出来た。

| あんころころ紅の豚 | 2014/05/30 23:10 | URL | ≫ EDIT

座っても転がれば良い

昨日、2014.6.13の稽古で、ちょっと衝撃的、目から鱗だったのは、座っていても同じと言うことだった。

正座して、片腕を立てておいて、それを相手も正座して両腕で捕まえる。

その状態でも、下半身を柔らかく転がれる状態にして、転がれば、手、腕は、余計なことをしなければ、良い。

立った時の足底が、座った場合の下腿、脛に相当するが、それを居着なくさせるとは、どう言うことか?

これは目から鱗だった。

正座でも居着来ないことが出来る。
それで相手が崩れる。
その体験は、ある面、衝撃だった。

体験すれば、そんなもんかとは、思うが、その状態、座っても抜いた状態をキープしていることが、稽古だ!

わざわざ、ワザで崩そうとしないのが稽古だ!

でも、本来の稽古課題を忘れて、相手を崩しに行き、固まる自分がいる。居着く自分がいる。

汝の敵は汝なり!
汝の的は汝なり!
三時のおやつは、文明堂!



| あんころころ紅の豚 | 2014/06/14 06:17 | URL | ≫ EDIT















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