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柔術稽古日誌「身体を切り替えない」

稽古において「転がる」ことは大事で、転がるという身体の使い方がそのまま技をかける時の身体の使い方になるということは常に言っている。

だから技に行き詰まったら転がればいいというのは少し前の稽古日誌「転がればいい」に書いた通りです。

この事がしっかり理解出来ているか確認の為にこんな稽古をしてみました。

一人が中央に立ち、他の複数の人たちで立っている人に触れにいき身体を押したり手を引いたりする。
立っている人は身体に受ける力にぶつからないように転がっていく。

この時に転がる人が守らなければならない要点は

・居つかない
・かかと重心
・姿勢を崩さない

やってみると入門間もない人はともかくみんな上手に転がっている。

しかし重要なポイントはそこではなく触れにいく人の身体の状態がどうなっているかという点です。

触れる時の身体の状態を見てみると、つま先重心になったり、足が止まって腕だけで押したり引いたり、身体が前傾して姿勢が崩れたりしている。

つまり「転がれる身体」になっていないのです。

それを門人達に指摘するとみな「あっ・・・」という顔になります。

この稽古では転がる人と転がす人という役割分担がありますが、実はどちらも身体の使い方は同じなんです。
しかしほとんどの人が転がることと転がすことの身体の使い方を無意識に区別してしまっているのです。
受けと取り
これは技の稽古の時も同じです。

頭の中では技をかける人の身体の使い方は転がる身体の使い方と同じ、というのは理解していても無意識に身体のスイッチを切り替えてしまっているのです。

だから転がる時はかかと重心や姿勢などはしっかり守れているのに技をかける時になるとすぐにつま先重心になったり姿勢が崩れてしまう。

技を受ける時だけではなく技をかける時もしっかり転がれる身体を意識しながら稽古しましょう。

| 稽古日誌 | 14:33 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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意識の妙

転がろうと思っていると転がれるが、ただ、その転がろうとしている人に触れるだけでも、踵重心から前側重心になり、転がらずに、踏み止まり、居着き、そしてど突いてしまう自分。

そんな自分を思い知り、その自分から新たな転がれる自分への稽古があんころ猫風八光流の基本であり、真髄のようです。

相手を意識して、掴まれた所、握られたところに意識がいってしまうと、そこから相手をどうにかしようとはじまってしまう。

それがそもそもの失敗の元なんだが、頭では分かっても実際、現実中々リラックスした状態を維持出来ない。
腕は重みに任せて落ち続けるだけ。そして身体がそれなりに移動するだけなのだが。
それが実に面白い。

何回かに一回でも、本当に腕の重さ、身体の重さを素直に、腕を介して相手に伝えておいて、歩くだけで、力感無く相手は崩れる。

本当に何の力も、力感も無く、相手は崩れる事に感動する。

腕は重み(決して前腕だけの重みでも無い、腕全体だけの重みでも無い、、、、)を相手の掴んだ所にかけて、後は腕は何もしない。身体が横に動いただけで、受け手は力感無く、崩されるとも無く、身体が崩されてしまい、床に転がされてしまってしまう。


リラックスと重さの凄さをしっかりと実感出来る体験が出来ました。

稽古仲間の皆さんありがとうございました。

| 5/1入門あんころ紅の豚 | 2014/06/14 00:07 | URL | ≫ EDIT

踵は海?

海は広いな大きいな、月が昇るし、日は沈む

という歌を数十年かぶりで思い出した。

本日6月20日の馬橋クラスでの稽古で、踵ということで、広沢先生から説明と注意があり、その後の練習で本当に踵は広く、大きいなと思った。これまでは狭いと思っていたがとんでもない。とてつもなく広い。右足と左足での踵の踏み方、使い方も全く異なる。狭いと思っていたが、これほど広く大きいとは思いもしなかった。

自分がいかに迂闊にぼんやりと立っているか、歩いているか身に染みた。

しかし、面白い! ドンドン深く、広くなる自分の身体。

あんころ猫先生の八光流は、転がりに始まり転がりに終わるが、普段の生活で如何に凝り固まり、突っ張って生きているか実感された。

| 5/1入門あんころ紅の豚 | 2014/06/21 00:49 | URL | ≫ EDIT















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