柔術稽古日誌「転がり鬼ごっこ」
前回の稽古日誌でも書いた一人が立って他の人達が触れて転がす稽古。
理屈で言えば、AがBを転がした時にCがAに触れたらAは転がらなくてはいけません。
その時に、Aが転がれないということは転がれる身体の状態を維持できていないと言うことになります。
つまりAもBもCも全員転がる人であり、転がす人でもあるのです。
そこで今度はこんな稽古をしてみます。
複数の人達で道場の中を自由に動き回りながらランダムに人に触れていきます。
誰に触れてもいいし、誰に触れられてもいい。
この時に転がる事と転がす事を無意識に区別してしまっていると戸惑ってしまいます。
例えば誰かに触れて転がそうと思ったら相手も手を伸ばして触れに来た瞬間、お互いに「!」と思ってお見合い状態になる。
これは無意識に転がる身体と転がす身体の状態を切り替えているから戸惑ってしまうのです。
そんな時もお互いに触れようとしたならそのまま触れ合えばいい。
どちらかの手が最初に触れたら触れられた方が転がればいいし、同時に触れたら二人とも転がればいい。
身体を切り替えるクセが抜けないと、ついつい転がる専門になったり、転がす専門になってしまいがち。
最初は頭で考えようとしてちょっとパニックになりますが、考えて動いていては間に合いませんので自然と身体に任せるようになってきます。

段々とあちらこちらと動き回りながらみんな笑いながら転がりまわっています。
この稽古の様子を門人が「鬼ごっこみたいですね」と言った。
たしかに見た感じはまるで鬼ごっこみたいです。
でもこの鬼ごっこの一番の特徴は鬼がいない、ということ。
誰もが同じ役割のまま自由に動き回り自由に転がる。
鬼がいないからこそ、この転がる稽古が成り立つんです。
だって言うじゃないですが「転がる世間に鬼はなし」って
えっ、違う?(^_^;)
理屈で言えば、AがBを転がした時にCがAに触れたらAは転がらなくてはいけません。
その時に、Aが転がれないということは転がれる身体の状態を維持できていないと言うことになります。
つまりAもBもCも全員転がる人であり、転がす人でもあるのです。
そこで今度はこんな稽古をしてみます。
複数の人達で道場の中を自由に動き回りながらランダムに人に触れていきます。
誰に触れてもいいし、誰に触れられてもいい。
この時に転がる事と転がす事を無意識に区別してしまっていると戸惑ってしまいます。
例えば誰かに触れて転がそうと思ったら相手も手を伸ばして触れに来た瞬間、お互いに「!」と思ってお見合い状態になる。
これは無意識に転がる身体と転がす身体の状態を切り替えているから戸惑ってしまうのです。
そんな時もお互いに触れようとしたならそのまま触れ合えばいい。
どちらかの手が最初に触れたら触れられた方が転がればいいし、同時に触れたら二人とも転がればいい。
身体を切り替えるクセが抜けないと、ついつい転がる専門になったり、転がす専門になってしまいがち。
最初は頭で考えようとしてちょっとパニックになりますが、考えて動いていては間に合いませんので自然と身体に任せるようになってきます。

段々とあちらこちらと動き回りながらみんな笑いながら転がりまわっています。
この稽古の様子を門人が「鬼ごっこみたいですね」と言った。
たしかに見た感じはまるで鬼ごっこみたいです。
でもこの鬼ごっこの一番の特徴は鬼がいない、ということ。
誰もが同じ役割のまま自由に動き回り自由に転がる。
鬼がいないからこそ、この転がる稽古が成り立つんです。
だって言うじゃないですが「転がる世間に鬼はなし」って
えっ、違う?(^_^;)