柔術稽古日誌「学びなおし」
この前の稽古では「歩く」というところに焦点をあててみた。
柔術の歩き方に関しては以前の稽古日誌「片足にまっすぐ乗る」を参照してください。
歩くときの感覚としては地面を蹴るのではなく地面に足を「置いて」いく感じ。
例えば砂浜を歩いているとして、地面を蹴って歩いていると足跡は崩れてしまう。
柔術では砂浜にスタンプを押すように同じカタチに同じ厚みの足跡がずっとついていくような感じ。
理屈ではわかってもこれが上手に出来る人は少ない。
「歩く」を学ぶというのは難しい。
何しろ殆どの人が誰に習うでもなく、自然に身につけてしまう技術だから。
新しい技術を学ぶのはある意味簡単だ。
それがどんなに難しくても、努力と継続があれば少しずつ身につけることが出来る。
難しい学びというのは「出来ている技術」を学びなおすということ。
例えば、自転車。
乗れない状態から乗れるようになるのは、単純に言えばひたすら繰り返し練習すれば良い。
しかしすでに自転車に乗れている人に、今までのやり方を全部忘れて、足の使い方、手の使い方など全ての動作を新しく覚えてくださいと言うと、かなり難しいはずです。
頭では新しく学ぼうと思っても、身体が既に覚えてしまった自転車の乗り方を無意識にしてしまうから。

歩くという行為も同じ。
誰に学ぶでもなく自己流で学び何十年やってきた歩くという技術。
これをもう一度学び直すのはかなりの苦労です。
私論だが、幼少時に獲得した「歩く」技術が偶然にも合理的で正しいものだったならば、将来、武道、スポーツ、治療など身体を使うジャンルの何においても能力を発揮しやすくなるのではないだろうか。
逆に言えば、合理的な「歩く」を身につけられなかった人は何を学ぶにもまずそこから始めなくてはならないとも言える。
誰でも出来ていて誰もが出来ていない「歩く」という行為。
ここから始めることが柔術にとってまさに「はじめの一歩」なんです。
柔術の歩き方に関しては以前の稽古日誌「片足にまっすぐ乗る」を参照してください。
歩くときの感覚としては地面を蹴るのではなく地面に足を「置いて」いく感じ。
例えば砂浜を歩いているとして、地面を蹴って歩いていると足跡は崩れてしまう。
柔術では砂浜にスタンプを押すように同じカタチに同じ厚みの足跡がずっとついていくような感じ。
理屈ではわかってもこれが上手に出来る人は少ない。
「歩く」を学ぶというのは難しい。
何しろ殆どの人が誰に習うでもなく、自然に身につけてしまう技術だから。
新しい技術を学ぶのはある意味簡単だ。
それがどんなに難しくても、努力と継続があれば少しずつ身につけることが出来る。
難しい学びというのは「出来ている技術」を学びなおすということ。
例えば、自転車。
乗れない状態から乗れるようになるのは、単純に言えばひたすら繰り返し練習すれば良い。
しかしすでに自転車に乗れている人に、今までのやり方を全部忘れて、足の使い方、手の使い方など全ての動作を新しく覚えてくださいと言うと、かなり難しいはずです。
頭では新しく学ぼうと思っても、身体が既に覚えてしまった自転車の乗り方を無意識にしてしまうから。

歩くという行為も同じ。
誰に学ぶでもなく自己流で学び何十年やってきた歩くという技術。
これをもう一度学び直すのはかなりの苦労です。
私論だが、幼少時に獲得した「歩く」技術が偶然にも合理的で正しいものだったならば、将来、武道、スポーツ、治療など身体を使うジャンルの何においても能力を発揮しやすくなるのではないだろうか。
逆に言えば、合理的な「歩く」を身につけられなかった人は何を学ぶにもまずそこから始めなくてはならないとも言える。
誰でも出来ていて誰もが出来ていない「歩く」という行為。
ここから始めることが柔術にとってまさに「はじめの一歩」なんです。