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自己紹介

八光流柔術皆伝師範・鍼灸師・皇法指圧師 広沢成山
1970年生まれ。幼い頃、「8時だよ!全員集合」の体操コーナーに憧れ、いつかバク転が出来るようになることを決意。
中学の頃、「背が高くなる」という言葉を信じ、バレーボール部に入部。
ネットより高くジャンプができないと言う理由から、ポジションがセッター専属となるがトスが10回に1回しか正確にあげることが出来ず伸び悩む。
肝心の身長もあまり変化がなく伸び悩む。

高校は受験時から体操部のある高校を選択。
入学と同時に体操部に入部。
しかし部員が2人しかいない弱小クラブでコーチもいない状態でなかなかバク転が身につかず伸び悩む。
同時期に顧問の先生の「自分に自信がつく」という言葉を信じ少林寺拳法部に入門。
これが、意外とハマり、高校生活の殆どを少林寺拳法部に注ぐ。
おかげで高校の成績は伸び悩んだ。

大学では当時流行った漫画「拳児」を読んで、自分も発勁が打てるようになれると信じ、中国武術部に入部。
これまた結構ハマり、大学生活の殆どを中国武術部に注ぐ。
おかげで大学の成績も伸び悩んだ。

その頃、同時に合気道などの関節技にも興味を持ち、さまざまな道場や講座に出没。

koreda.png1993年、大学4年生の時、たまたま見学に行った八光流柔術。
60歳近い先生にウソみたいに投げられ、本当にウソかと思ったが、ほっぺたをつねって痛かったので現実であることを実感し、その日のうちに八光流柔術に入門。


1997年花田学園日本鍼灸理療専門学校に入学。
1999年のはり師・きゅう師の免許取得後は、鍼灸院、クイックマッサージ、接骨院など多様な場所で経験と知識を積む。

1999年8月、ついに八光流柔術師範になる。
当時の道場は道場生の殆どが師範という特殊な環境だったので、師範取得後も立場は変わらず。
先輩師範にかわいがられ、いじられ、つっこまれ、すくすくと成長するが、技の方は伸び悩む。
いまだに先輩師範からは「いつまでも技が入門時と変わらず初々しくていいね」と最大級の褒め言葉いただく。

2000年8月に皆伝・基柱師範を取得。
しかし、立場は変わらず。
この頃になると自らのことを「初心忘れるべからず」ですからといって技が伸び悩んでいるのをごまかす技を身に付ける。

2001年8月に皇法指圧免状取得。
道場では技は褒められないが、皇法指圧は褒められるようになる。
先輩師範を皇法指圧の痛覚刺激で「ギャアギャア」言わせる技を身に着けたが、柔術の技は伸び悩む。

syuwainoci.png
2004年会社でろう者と出会い、手話に初めて接する。
その方とコミュニケーションを取りたいという想いから手話の勉強をスタート。

しかし、いくら勉強しても手話単語が記憶からボロボロとこぼれ落ちていき、ろう者の同僚とも筆談から脱却できず伸び悩む。

次第に手話という言語の魅力にもハマっていき、手話言語の勉強と同時に、手話やろう者にまつわる書籍も片っ端から読み漁る。

少し前まで、聾学校では手話が禁止されていたこと
手話には「日本語対応手話」と「日本手話」があること

全てが、初めて知ることばかりで目からウロコの毎日を過ごす。
そんなこんなで、現在は手話での日常会話ぐらいは何とかなるようになる。

2007年から、手話文化村という手話を勉強する学校に通って、モンキー高野さんに手話を習い始める。

nobinayamu.png2007年、地元千葉県松戸市での実験的稽古会としてノーブランド柔術研究会をスタート。

2009年、八光流柔術の稽古会を本格的にスタート。

現在、坊主に眼鏡がトレードマークになっているが、坊主はすぐに髪が伸びてしまうのでマメに床屋に行かなくてはならず、伸び悩む。


以上

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